
ダブルミーニング

2年生になったら、おともだちがあそんでくれなくなった。
学校がおわって、いつものようにボールをもって、いつもの公園へいったのに、みんなはいつものようにボクをチームわけのジャンケンに入れてくれなかった。
「もうおまえとはあそばねーから」
いちばん体が大きくて、いちばんケンカがつよいソウタくんにそういわれたときは、目のまえがまっくらになったみたいだった。
ほかの子たちもニヤニヤとボクを見ているだけで、だれもボクをやきゅうにいれてくれはしないみたいだった。
「ボク、なにかしたかな?わるいことしたんなら、あやまるから」
きのうナオトくんのバットにきずをつけちゃったからかな?
ボクのところにとんできたボールをとれなかったから?
なみだがでそうだったけど、がんばってソウタくんにきいた。
「そうじゃねーけど、みんな、もうショウはいいっていってるんだ」
「なんで?みんなボクのこときらいなの?」
ソウタくんがお口をモゴモゴさせているあいだ、ボクは、「ちがうよ。ショウをからかってるだけだよ」といってくれるのをまっていた。
「だから、またやきゅうしようぜ」って。
でも、ソウタくんは「そうだよ」と、ボクを見ないでいうだけだった。
ボクがいないみたいにジャンケンをするみんなを見てられなくて、公園をでた。
ボールをギュッとにぎりながら自分のつま先だけをみてあるいてると、ぺちゃんこになったみたいなきもちになった。
泣きそうになるのをがまんしてると、のどのおくがヒクヒクしてきて、そのうち、体ぜんぶがふるえてきた。
「ショウちゃん?どうしたの?」
かおをあげると、スーパーのふくろをもった、ユウちゃんのおばさんがボクを見ていた。
「怪我でもした?どこか痛いの?」
ボクの目のたかさにしゃがんで、かおやヒザにさわってくる。
ボクは大ごえでないてしまって、そのままおばさんに、さっきのことをぜんぶはなした。
おばさんは、やさしいかおでうなずきながらきいてくれたあと、ボクにこういった。
「ショウちゃんは全然悪くない。でも、ソウタくん達だって悪くないんだよ?寂しいと思うけど、みんなを許してあげてね?」
ボクがわるくないんなら、なんでゆるしてあげないといけないんだろう?
そうおもったけど、おばさんがあたまをやさしくなでてくれたから、うなずいた。
「うん、いい子だね。じゃあ、ウチに来ない?ユウと遊んでくれると嬉しいなぁ」
ほんとうはいやだった。
ユウちゃんは、やせっぽっちでちっちゃくて、かけっこはいつもビリ。
ともだちもいなくて、いつもひとりでトランプとかをしてあそんでる。
ボクは野球とかサッカーとか高オニをしたいけど、ユウちゃんとじゃできないだろう。
でも、
「ダメかな?」
さっきよりもしんぱいそうなかおをしているおばさんに、ダメだなんていえなかった。
ユウちゃんのおへやには、いえのなかであそぶものが、いっぱいあった。
グラグラするパズル。
がいこくのえがかいてあるカード。
オセロやしょうぎ?みたいなやつ。
ボクはたのしくなっちゃって、つぎからつぎへと、あそびかたをユウちゃんにきいていった。
さいしょはモジモジしていたユウちゃんも、いまは、とくいそうにボクにせつめいしていた。
すっかり、さっきのことなんか、わすれてしまった。
「これはなーに?」
「カードをひいて、たくさんおかねもってたらかちなんだよ」
「このゲームは?」
「てきをやっつけるんだ!このボタンを押してね」
ボクのパパは、こういうおもちゃをかってはくれなかったから、ぜんぶがはじめて。
そのなかに、たくさんのしかくに、アニメのえがかいてあるものがあった。
おなじえもあるし、ちがうのもある。
「それは、よくわからないんだ。パパがかってきたんだけど、いっかいもやってない」
なんだかふしぎで、ずっとそれを見ていると、ユウちゃんがこまりながらいった。
ボクもぜんぜんわからなかったけど、手のなかで、かたいしかくをころがすのがおもしろくて、ずっとそれにさわっていた。
最後の1卓だったので、ユウちゃんの後ろに立った。












ドラ
オーラス2着目の東家
トップとは25000点以上離れており、3着目ラス目には、共に7000点程のアドバンテージがある。
ここのウマは2-4なので、2着目から連帯を外すのが痛い。
もう7巡目だ。仕掛けも効かないし、よっぽどのツモでなければオリる事になるだろう。
ここに、
をツモってきた。












ツモ
ドラ
ユウちゃんがノータイムでツモ切ったのをみて、思わず出てきそうになった溜息を噛み殺した。
河には前半から
を2枚、
を3枚ほかの3人がバラ切りしていて、
は対面のトップ目が2枚打ってる。
は強い待ちだし、下位が
を使っている可能性は高い。
それなら、ベタオリに備えて
を残しつつ、少しでも
待ちを強く見せる
切りという手は無いのか?
少なくとも手拍子で打って良い牌では無いし、決めていたにしてはユウちゃんの打牌は投げやり過ぎた。
次巡、今度は普通の選択が訪れる。












ツモ
ドラ
望外の赤ツモで、メンツ選択。
ここでもユウちゃんはノータイムで
を抜いた。
萬子は高いけど、処理過程のリスクや赤をダイレクトに引くケースを考えれば、無くは無い。
無くは無いが...やはりボクは萬子を外しそうだ。
和了に行く時にカン
では曲げられないし、本手を作っているであろう下位のテンパイはまだに思える。
それに、安全度の高い
を最後まで手に残したい。
その局は終局間近に
をチーしたユウちゃんの1人テンパイで終わり、次局、早いリーチをツモったラス目が浮上。
3着に落ちたユウちゃんが顔を歪めるのを、視界の端だけに入れた。
「あの、さっきのオーラスだけど」
「どうせ伏せで2着確定だってんだろ?そんなの分かってるんだよ」
はじめから、ユウちゃんの声は尖っていた。
「ううん、それだけじゃ無くてね。その前の捌きが...」
「お前みたいにベタオリ有きで考えてたら、ジリ貧だろうが!?ドラ3の親なんか行くところだろ!!」
「...6000オールでも捲れないのに?」
乱暴に手を離されたモップが、意外なほど大きな音を雀荘に響かせた。
カウンターで数字を合わせている店長が、こちらを向く気配がした。
こちらに向き直ったユウちゃんから暴力の予感を覚えて、反射的に身が縮んだ。
「お前さ、結局俺のことバカにしてるんだろ?そりゃ、お前の方が勝ってるよ。ここ最近はずっとだ。でも、麻雀なんかこれくらいじゃ分からねぇだろ!?」
「ユウちゃん、ちが
「俺には俺の打ち方があるし、他人に、ましてお前に指図されるいわれはねぇんだよ。いつか俺が正しいって思わせてやるから」
そのまま、諌める店長を無視して、タイムカードも押さずに店を出て行ってしまった。
ユウちゃんを傷付けてしまったかもしれないことよりも、彼と相対せずに済んだ事に安堵してしまっている自分が、たまらなく嫌だった。
友達だったら、もっと堂々と張り合うべきだと思う。
自論を戦わせて、白黒つかなくても、ライバルとして肩をぶつけ合い続けるのが礼儀だろう。
でも、ボクはまだあの日の公園から抜け出せていない。
あそんでくれなくなるのを恐れて、ユウちゃんとのジャンケンを避けている。
とっくに、遊んでなどくれなくなっているのに。
「ショウどうした?最近のお前らおかしいぞ?幼馴染でも喧嘩はするんだな」
いえ、これは喧嘩にもなってないんです。
と、まともに説明するのも億劫で、曖昧に微笑みの形を作ろうとし、失敗した。
あぁ、昔はあんなに楽しかったのに。
公園を追い出されたボクは、ユウちゃんの家に入り浸るようになった。
様々な遊具を使い、様々なゲームをしたけど、その中で一番気に入ったのは、ドンジャラだった。
ユウちゃんと競うように覚えた複雑な役を暗唱するのは誇らしかったし、牌をめくるのにワクワクし、相手に手を倒されないかドキドキした。
何より、ドンジャラは4人でできるゲームだったから。
おじさんが休みの日には、2人でせがんで卓を囲んだ。
最初は乗り気で無いおばさんが、どんどんムキになっていくのは愉快だったし
手品のようにボクが欲しい牌を当てるおじさんに憧れた。
ボクが怪我をする事ばかりを心配している母親も、頭ごなしに「わきまえろ」と繰り返す父親も、あまり好きでは無かった。
いま思えば単に反抗期が早かっただけだけれど、そんなボクは親に遊んでもらった記憶が殆ど無い。
だから、単純に大人と遊んで貰う事が嬉しくて嬉しくて、もっと褒めて欲しくて、ボクはユウちゃんとドンジャラの研究に打ち込んだ。
中学に上がり、ドンジャラの牌が雀牌に変わった。
ドンジャラで考え方の基礎ができていたのか、ボク達はおじさんおばさんが驚くような速度で麻雀を吸収していった。
おじさんはかなり打ち込んだ人のようで、面白がって色々な戦術や麻雀観を授けてくれた。
ボクはますますおじさんを慕うようになった。
勝てなくなったおばさんがますますムキになるのを、ボクがやっと使うようになった敬語で宥めるのを見て、ユウちゃんとおじさんが笑う。
ボクにとっては、そこはもう自分の家より家で、3人は家族だった。
高校はユウちゃんと別れてしまったけれど、相変わらずユウちゃん達との交流は続いていた。
他の学校の友達付き合いがあるのか、ユウちゃんは少しよそよそしくなったけれど
ボクは自分の居場所が無くなるのが怖くて、多少強引にでもユウちゃんとの距離が開かないように近付いた。
その時のユウちゃんはまだ、うっとうしがりつつも、ボクと友達でいてくれた。
大学に入り、メンバーのアルバイトをやりたいと告げると、ボクの両親はもちろん、ユウちゃん一家も揃って反対してきた。
ショックだった。あの人たちだけはボクの味方だと思っていたから。
麻雀には自信があった。
同年代とのセットは全く負ける気がしなかったし、こっそりと挑戦してみたフリー雀荘も大したことは無かった。
「もう大学生なんだから、聞き分けないと。いつまでも麻雀なんか続けていられないだろ?」
優しく忠告するユウちゃんの言葉も、ボクの反発を育てるだけだった。
「やりたいなら勝手にしろ。ただし、家は出て行け。学費も生活費も自分で何とかするんだな」
ボクの顔も見ずに吐き捨てた父親の言葉は、本心だったのか。
どうせそこまでの根性は無いだろう、と高を括る気持ちが見え隠れしたのが、最後の引き金になった。
その日のうちに家を飛び出して、雀荘の面接に臨んだ。
怪訝そうな店長を打牌と卓掃で黙らせ、すぐに働き始めた。
成績は上々だった。
常連やメンバーも、最初はやっかんで絡んで来たが、ボクが成績を見せると、すぐに黙った。
雀荘の中では店長としかまともな口を利かない。
メンバーにも客にも嫌われてる。
しかしそれは、本走一番手でアウトも切らないメンバーを辞めさせる理由にはならなかった。
客観的に見て、ボクは孤独だった。
でも、牌の感触がボクをあの家に繋ぎ止めてくれていた。
もう行く事のなくなった、あの家に。
そんなある日、ユウちゃんがやって来た。
ボクのお店で、メンバーとして働くというのだ。
泣きたくなるくらいありがたかった。
突っ張ってはいても、ボクの心は疲弊しきっていた。
きちんと話が出来る誰かを渇望していたのを、はっきりと自覚した。
それからのボクは、枯れ木が水を吸うように、ユウちゃんとの交流を欲した。
麻雀の話にかこつけて、ユウちゃんにくっ付いて回った。
嫌われ者のボクと接する事で、立場が微妙になっていくユウちゃんの事なんか全然考えずに。
それどころか他の連中に対して
「ほら、ボクにだって友達がいるんだぞ。仲間はずれにしてくれても平気なんだから」
と、歪んだ愉悦すら感じていた。
なんて自分勝手で馬鹿だったんだろう。
疎外されるのを誰よりも怖がっているくせに、都合の良い人間が近くに現れた途端、鬼の首を取ったように息巻く。
あのときソウタくん達がボクを締め出したのも、そんな醜いボクを見抜いていたからなのかもしれない。
ユウちゃんは変わっていった。
昔よりも体は大きくなって元気になっていて。
でも、昔と同じように優しくて。
たぶんボクを心配してここに来てくれたユウちゃんを、ボクが変えてしまった。
言葉使いが荒くなり。
それと比例するかのように麻雀も荒くなり。
負けが込んで、酒を飲むようになり。
また負けて荒れても、周りに相談できないで。
ボクが周りを奪ったから。
ユウちゃんはもう、ボクをショウちゃんと呼んではくれない。
同卓をすれば、無理にトップを狙おうとして、酷い牌を打って沈んでいく。
誰とも目も合わせないで、世界のぜんぶを憎んでいるような顔をして。
ボクのつまらない意地と執着でこんな事になってしまったのなら、どうかユウちゃんを元に戻してあげてください。
ボクはずっとジャンケンに入れてくれなくてもいいですから。
おじさんとおばさんに優しいユウちゃんを返してあげてください。
もちろん、そんな都合の良い願いに応えてくれる何者かなんていない。
だからボクは、性懲りもなくすがる事にした。
慣れない手つきでお茶を淹れるおじさんを手伝おうとして、固辞された。
「火傷でもさせちゃったら、申し訳ねぇ」
との事だけど、毎日何杯ものアリアリを出しているボクとしては、苦笑する他ない。
突然の来訪に、驚きこそすれ、迷惑そうな素ぶりひとつ見せず、おじさんはすぐに居間へ通してくれた。
週末の度に雀卓になったテーブルに、今はお茶とお茶菓子が置かれ、話を切り出しかねているボクを助けてくれている。
「なんか痩せたんじゃない?ちゃんと食べてる?」
「もともと食べる方では無いので。ユウちゃんみたいには、なかなか」
「あいつもさぁ。ちっちゃい頃はガリガリで心配したもんだけど、中学入ったらいきなりガツガツ食って、でかくなっちまった。心配して損したぜ」
「損、ってことはないでしょう。何よりです」
ボクの状況を知ってか知らずか、無難な話題を選んでくれているのだろう。
でも、今のボクにはユウちゃんの名前だけでも、刺さる。
そんなユウちゃんは、ずいぶんと痩せてしまったんです。ボクのせいで。
「今日はあいつがいなくて、ごめんね。本当はもうちょっとマシなお茶が出るんだけどさ」
「いえ、突然伺ったのはこちらですから」
嘘だ。
今日おばさんが婦人会の集まりに出掛ける事は、知っていた。
わざわざ、この日・この時間を選んだ。
ユウちゃんの事を心配しているおばさんに聞かせたく無い話になるからだ。
そして、その後にボクの事を許してくれるからだ。
また優しく頭を撫でられてしまったら、ボクは許された気持ちになってしまう。
それだけは、やってはいけないと思った。
沈黙を嫌うかのように、おじさんは喋り続ける。
あいつさぁ、生まれた時は1キロも無くてさぁ。2ヶ月も保育器入ってたんだ。
医者は「覚悟してください」とか言い出すしさぁ。泣きたかったけど、あいつがメチャメチャ泣くからさ。俺が折れたら終わりだと思ってね。太腿つねって堪えてたんだ。
ユウ、優人さ、産まれる前に名前付けたんだ。腹の中にいる時に付いてるの見えてたからさ、男だって分かってたから。あ、ごめんな。
優しい人になって欲しい、って、あいつが付けたんだ。どんだけ単純なんだって話だよな。ちょっとは捻れってな?
でもさ、良い名前だと思ったんだよ。俺みたいはガサツな奴じゃなくてさ、他人様のことをちゃんと思いやれる人間になってくれるかな、ってさ。
そしたら、超未熟児で簡単にスポっと出てきやがった。産まれる時にてめぇの母親に優しくしてどうすんだってなぁ。
あいつが泣きながらなぁ、名前が良くなかったのかなぁ、って言うんだよ。もっと強いような名前だったらこんな事にならなかったかもしれないってなぁ。
その時ばかりは怒鳴っちゃったよ。バカヤロウって。そんな良い名前なのに、別のがよかったなんて言うんじゃねぇ、ってな。
そんでさ、なんだかんだ命は助かったけど、やっぱ体は弱えから、他の子みたいに遊べないんだよな。
あいつ、産んだてまえ罪悪感があるのか、すげぇ心配してさ。そんなの感じるのよくないんだけどね。
俺なんかは男なんか放っておけば大丈夫だ、って言うんだけど、友達もいねぇし、可哀想になるんだろうね、オモチャばっかり買ってやってさ。
そんなことしたら、もっと友達いなくなるのにな。あいつの気持ち分かるから、何も言えなかった。
どっこい、あれだけは本当に正しかった。なんせ、それでショウちゃんが来てくれた。
ショウちゃんが初めてウチに上がった日なぁ、俺が帰って来ると、ユウが見たこと無いくらい楽しそうにあれこれ話すんだよ。ショウちゃんがどうした、ショウちゃんがこう言ったっな。
それを見てあいつ、泣くんだよ。泣きすぎだよな。
でも、ショウちゃんと会ってみて、俺も思ったんだよ。「あぁ、こりゃ泣くな」ってな。こんないい子がユウと友達になってくれた。それは泣いちゃうよな。ってな。
だから、ショウちゃんが泣くことなんて、何もねぇんだよ?
子供みたいにボロボロと流れる涙を、ボクは拭わなかった。
おじさんの話から目を逸らしてはいけないから。
こんなに愛されているユウちゃんに、ボクはなんてことを。
無言で差し出されたティッシュで、思い切り鼻をかんで、やっと少し落ち着いた。
「ユウさ、良くねぇんだろ?」
「...おじさん、本当にごめんなさい。ユウちゃんがあんなになったの、ボクのせいなんです」
「そりゃなぁ。でも、そういうの仕方無いって言うか、誰が悪いってわけでも無いしなぁ」
「え?だから、ボクが悪いって言ってるじゃないですか」
「いやいやいや、悪くねぇよ」
「でも、ボクのせいで」
「ショウちゃんのせいだけど、別にショウちゃん悪くねぇだろ」
なんだそれは。
悪意の有無とか、そういう話か?
「まてまてまてまて。えーと、ちょっと待ってくれ」
おじさんは苦悩したように目に手をあてて、何やら思案している。
「ショウちゃんさ。なんで自分が悪いって思う?」
「あ、だからそれは、ボクのせいで雀荘で働くようになって、ボクと友達だから周りからハブられて...って、この話してませんよね?」
「あー、そういうことか。あー」
おじさんは、あちゃー、と、天井を仰ぎ見る。
それを戻す反動そのままに、勢いよくボクに頭を下げる。
「すまん!俺が早合点した。っていうか、ユウにこそ申し訳ねぇ...」
「ちょっとちょっと!何ですかそれ」
頭を上げるまでに、思考を整理したようだ。
何事かを話す用意が、おじさんの顔に見て取れた。
これは、俺から聞いたって、ユウには言わないで欲しいんだけど。と前置きして
「あのさ、何でユウが雀荘で働くことにしたと思う?」
「それは、ボクのために...」
「そう、その通り。それを聞いたとき、俺らはユウに"よく言った!行ってこい!"ってな」
「はぁ??ボクの時はあんなに反対したのに、自分の息子の時は激励って、どういう事ですか!」
「だから、事情が違うだろ」
「酷い。ボクはおじさんとおばさんの事を本当の親よりも...」
「あのさぁ...ショウちゃん、確かにこれはショウちゃんが悪いわ。自覚が無さすぎる」
「どういう意味ですか!」
「だから!大の男と、可愛い女の子じゃ事情が違うでしょうが!」
可愛い?ボクが?
話の本筋を忘れて、カッと頬が熱くなる。
黙ったボクにおじさんが畳み込む。
「嫁入り前どころか、ハタチ前の女の子が雀荘で働くとか、普通は反対するだろ。まして、バリバリの博打雀荘だ。どんなヤロウがいやがるか分かりやしねぇ」
「でも、麻雀は勝ってますし...」
「そういう問題じゃねーだろ!」
あーもう!と、ガリガリ頭を掻き。
「そうでなくとも博打の周りなんて揉め事だらけなのに、アンタみたいなべっぴんがいたら、どうにかしようって男がいない方がおかしい。麻雀を教えた手前、俺にも責任がある。何かあったら親御さんに死んで詫びねえといけねえ」
「そんな大袈裟な...」
「大袈裟な話なんだよ!もう俺ら大混乱よ。あいつなんか酷かったぜ?そうでなくてもショウちゃんに声掛けた事を気に病んでたのに」
聞き逃せないフレーズが出た。
「ちょっと待って下さい!気に病んでたって何です??」
「あぁ、ウチに来た時、仲間からはじかれてたんだろ?それをあいつが慰めて、連れて来た」
「はい。ボクの事を可哀想に思ってくれて、それで」
「うん。確かにそういう気持ちはあったんだろう。それも嘘じゃない。けど、こうも思った。チャンスだって」
「チャンス?」
「ユウには遊んでくれる友達がいない。どうしよう、このままじゃずっと1人かも。そんな事ばっかり考えてるところに、仲間はずれにされて泣いている子がいる。しかも、女の子だ。これならユウとも合うかもしれない。ここはひとつ持ち帰ってみて...」
「そんな、犬猫じゃあるまいし」
「そう、犬猫じゃねぇんだ。失礼な話だし、褒められたもんじゃない。けどな、俺はあいつを責められない。ずっと自分を責めてきた、あいつをな」
泣いているボクを励ましくれて。
ボクに居場所を与えてくれて。
おばさんの事は菩薩様のように思っていた。
でも、もちろんおばさんだって人間で、母親だ。
自分の子供を中心に物事を考えるのは、当然だ。
それをずっと気にして。
ユウちゃんにも後ろめたさを抱えて。
なんて不器用で、なんて優しんだろう。
「ウチはユウだけだからさ。あいつ、女の子も欲しいって言ってたんだけどね。ショウちゃんが来てくれるようになってから、そんなこと言わなくなったよ。ショウちゃん、本当にありがとうな」
何も言えずにいるボクの胸中を知ってか知らずか。
でだ、と続く。
「そんなだから、ユウがショウちゃんを助けに行くんだ!って、俺らは盛り上がるわけよ」
「なるほど...何だか分かりました」
呆けたように返すボクを、おじさんがヘンな顔でみている。
「...何です?」
「いやー、これまでの感じだと、ショウちゃん分かってないよ。絶対わかってない」
「だから、ボクが心配でショウちゃんが来てくれて、それはおじさんとおばさんの望むところであって、なんですよね?」
「それはそうなんだけど、そうじゃない」
「もう謎かけはやめて下さい...答えだけ教えて下さい...」
疲れ切っていた。
「俺から言わせると、分からないショウちゃんが謎だけどな。いいかい、これだと俺らが反対した理由しか分かってないよな?本題は何だ?」
「あ、そうだ。何でユウちゃんが弱ってるか、だ」
「そう。さっきのショウちゃんの話だと、ショウちゃんが友達面したから、ってことだったよな?」
「はい。ボク、本当に嫌われてるんで」
「違う。ユウが友達面したからなのはそうだけど、周りは関係無い」
もう何も言わない。
これ本当にユウには内緒な、と、やけに神妙な顔を作ってから。
「ユウがさ、ショウちゃんのお店に行くって言った時、俺ら大応援したんだよ」
「さっきも聞きました。ボクを助けて来い、と」
「それもひとつだけど、もうひとつは、ついに打ち明ける気になったのか!だったんだよ」
「何をですか?」
「もう驚かねぇけどな...ショウちゃんが好きだ、って事だよ」
今度こそ頭がおかしくなりそうだった。
この文脈だと、ユウちゃんがボクを?好き?なんで?
「顔に全部書いてあるけどさ。考えてもみなよ。唯一自分と遊んでくれた友達が、この辺りで一番の美人で、屈託無く自分に接してくれる。こんなの、好きになるに決まってるだろ」
耳が赤くなる。もうやめてくれ。
「だって、ボクはボクで、ユウちゃんはユウちゃんですよ!?そんなの、あり得るわけが...」
「こういうの、女の子の方が早いっていうけどなぁ」
いや、そんなレベルの話じゃねぇか...
とボヤいたあと
「これに関しては、ユウの方に同情しちゃうな。好きな女の子は自分の事を友達としか思ってない上に、とびきり仲の良い友達でいようとする。年頃の男からしたら、生き地獄だぜ。しかも、自分の一番ヘナチョコなところも見られてる。普通にアプローチしても相手にされるわけが無い」
だから、ショウちゃんが家を出て、チャンスだと思ったんだ。あの時のあいつと同じだな。これも血なのかねぇ。
親の援助も断って、女の身ひとつでゴロツキの巣窟で気張ってるんだ。平気でいるはずがない。きっと傷付いて、心細くて、泣きそうになってるはずだ。
そこに颯爽と乗り込んで、助け上げてやる。
どうだ、俺はもう昔の頼りにならん青びょうたんじゃねぇ。ただの友達じゃ無くて、ひとりの逞しい男なんだぞ。
そして、お前の事が好きだ。本当の家族になろうぜ。
いや、家族ってのは俺らの願望なんだけどな。
自分勝手で馬鹿だろう?でも若い男なんてそんなもんだ。好きな女の子の前で格好つけるのが何よりの望みなんだ。
鼻息全開で、いざ雀荘に行くと、ショウちゃんは一人で立派に勤め上げていた。勝ち頭で、妙な客やメンバーを寄せ付けもしない。
ユウは途方に暮れた。なんだ、ショウちゃんはしっかりやってるじゃないか。俺は何の為にここに来たんだ?
しかも、ショウちゃんは以前と全く同じ形で自分に接してくる。麻雀の話が出来る、最高に親しい"友達"だ。
なんてこった、更に友情を深めちまった。俺は永遠に男として見てもらえないのか。
でも好きだから、おめおめ消える事もできねぇ。いま告白しても100%振られる。
あー!どうすれば良いんだ!!
「そんな状態で麻雀やって、勝てるわけがねぇ。まして、想い人との同卓なんか最悪だ。賭けても良いけど、その時のユウの打牌は最低だね」
今度こそ口が開いた。
そんな子供じみた妄想を抱いて、あんなところまで来たのか?本当に?
だいたい、ボクは弱ってたじゃないか。
村八分にされても意地を張ってた姿が、ユウちゃんには強い女に見えたのか?
だとしたら、ユウちゃんも大概バカだ。
そう思うと無性に可笑しくなって来て、声を上げて笑ってしまった。
おじさんも、困ったように笑う。
「俺も直接聞いたわけじゃないけど、大方そんなとこだろうぜ。今のあいつが荒れてるのは、ただ拗ねてるだけだ。目の前の人参が食べれなくて、癇癪を起こしてるだけだ」
「だったら、ボクはどうしたら良いんでしょう?」
「ショウちゃんの気持ちの話だからなぁ。どうするべきってのはねぇよ。ただな、親というか男として、もう少しユウの事を異性として見てくれるとありがたいかな。さすがに不憫だわ」
「うーん。善処します」
「...あれ?ひょっとして、好きな人いるの?」
「...」
「そ、そうかそうか!ごめんなぁ、周りで勝手に盛り上がっちゃって。そりゃショウちゃんだってお年頃だもんなぁ」
「そう、お年頃なんです」
「うんうん。でも、残念だなぁ。自分の娘を嫁に出す気分だよ。って、それは気が早すぎるけど。ショウちゃんだったらなびかない男なんかいないでしょ。もうそいつに言ったの?」
「いえ、言う事は無いと思います」
「なんでなんで!?...あ、ひょっとしてワケありのやつ?」
「そんなところです」
「うへぇ、それは辛いなぁ。ショウちゃんなら大丈夫だと思うけど、妙な事にはならないようにな。もし上手くいったら、ウチに連れて来なよ。俺が目利きしてやるから」
「はい。是非お願いします」
ひとしきり昔話をし、麻雀戦術について議論を交わした。
昔は金言のように聞こえていたおじさんの麻雀論も、今聞くと古臭い手役派の説教みたいで、嬉しいような寂しいような心持ちになった。
「じゃあね!ユウのことよろしくね!」
陽は落ちかかって、黄昏時。
オレンジと紫が鮮やかに雲の姿を映し出している。
軒先まで見送ってくれたおじさんは、ずっと手を振っているのだと思う。
ボクは振り向かないで、黙々と歩く。
今また顔を見たら、涙が落ちてしまいそうだ。
おじさんは、なかなかの名探偵だったけど、解き忘れた謎がひとつある。
"ショウちゃんは何故そんなに麻雀に拘るのか?"
父親とは物心付いた時から冷戦状態のままだ。
全く自覚は無かったけれど、ボクの心は、いつもそこを埋めるものを探していたのだと思う。
「ショウちゃんは覚えがいいねぇ。ユウよりずっとスジが良さそうだ」
父親に褒められた事が無いボクは、その言葉がくすぐったくて、モゾモゾして。
でも、もっと欲しいと思った。
いつからか、ボクを娘のように見つめる視線に、痛みを覚えるようになった。
嬉しいのに、疼く。
不思議だった。
はっきりと自覚してしまうと、何かが壊れてしまうような気がして、言葉にするのを避けてきた。
そして、はっきりと自覚した時、ボクはもうそのままではいられなくなった。
叶えてはいけない望みを抱えたまま、普通でいる事はできない。
その人が大好きだった。
その人の家族が大好きだった。
それを脅かそうとする自分の感情が、とてもおぞましいものに思えた。
人に寄り添う事ができないのなら、牌に寄り添おう。
あの人が褒めてくれた、モゾモゾ嬉しい、あの小さな塊の近くにいよう。
でも、ボクはひとりになんてなれなかった。
どうしょうもなくなって、フラフラになって。
それを助けようとしてくれた友達もろとも、ダメになって。
結局は頼って救って貰って。
ユウちゃん。
ボク達まだまだ修行が足りないよ。
自分たちのことばっかりで、人に優しくできないよ
自分の心にすら誠実になれなくて、遠くに翔けてなんていけないよ
でもね。
今日は本当に良かったと思うんだ。
ユウちゃんが、どれだけかけがえの無い人なのか分かったから。
おばさんが、どんなに愛されてるか分かったから。
だから、まず最初から話をしよう。
優人と初めて会った日、翔子は道端で泣いていたんだ...
学校がおわって、いつものようにボールをもって、いつもの公園へいったのに、みんなはいつものようにボクをチームわけのジャンケンに入れてくれなかった。
「もうおまえとはあそばねーから」
いちばん体が大きくて、いちばんケンカがつよいソウタくんにそういわれたときは、目のまえがまっくらになったみたいだった。
ほかの子たちもニヤニヤとボクを見ているだけで、だれもボクをやきゅうにいれてくれはしないみたいだった。
「ボク、なにかしたかな?わるいことしたんなら、あやまるから」
きのうナオトくんのバットにきずをつけちゃったからかな?
ボクのところにとんできたボールをとれなかったから?
なみだがでそうだったけど、がんばってソウタくんにきいた。
「そうじゃねーけど、みんな、もうショウはいいっていってるんだ」
「なんで?みんなボクのこときらいなの?」
ソウタくんがお口をモゴモゴさせているあいだ、ボクは、「ちがうよ。ショウをからかってるだけだよ」といってくれるのをまっていた。
「だから、またやきゅうしようぜ」って。
でも、ソウタくんは「そうだよ」と、ボクを見ないでいうだけだった。
ボクがいないみたいにジャンケンをするみんなを見てられなくて、公園をでた。
ボールをギュッとにぎりながら自分のつま先だけをみてあるいてると、ぺちゃんこになったみたいなきもちになった。
泣きそうになるのをがまんしてると、のどのおくがヒクヒクしてきて、そのうち、体ぜんぶがふるえてきた。
「ショウちゃん?どうしたの?」
かおをあげると、スーパーのふくろをもった、ユウちゃんのおばさんがボクを見ていた。
「怪我でもした?どこか痛いの?」
ボクの目のたかさにしゃがんで、かおやヒザにさわってくる。
ボクは大ごえでないてしまって、そのままおばさんに、さっきのことをぜんぶはなした。
おばさんは、やさしいかおでうなずきながらきいてくれたあと、ボクにこういった。
「ショウちゃんは全然悪くない。でも、ソウタくん達だって悪くないんだよ?寂しいと思うけど、みんなを許してあげてね?」
ボクがわるくないんなら、なんでゆるしてあげないといけないんだろう?
そうおもったけど、おばさんがあたまをやさしくなでてくれたから、うなずいた。
「うん、いい子だね。じゃあ、ウチに来ない?ユウと遊んでくれると嬉しいなぁ」
ほんとうはいやだった。
ユウちゃんは、やせっぽっちでちっちゃくて、かけっこはいつもビリ。
ともだちもいなくて、いつもひとりでトランプとかをしてあそんでる。
ボクは野球とかサッカーとか高オニをしたいけど、ユウちゃんとじゃできないだろう。
でも、
「ダメかな?」
さっきよりもしんぱいそうなかおをしているおばさんに、ダメだなんていえなかった。
ユウちゃんのおへやには、いえのなかであそぶものが、いっぱいあった。
グラグラするパズル。
がいこくのえがかいてあるカード。
オセロやしょうぎ?みたいなやつ。
ボクはたのしくなっちゃって、つぎからつぎへと、あそびかたをユウちゃんにきいていった。
さいしょはモジモジしていたユウちゃんも、いまは、とくいそうにボクにせつめいしていた。
すっかり、さっきのことなんか、わすれてしまった。
「これはなーに?」
「カードをひいて、たくさんおかねもってたらかちなんだよ」
「このゲームは?」
「てきをやっつけるんだ!このボタンを押してね」
ボクのパパは、こういうおもちゃをかってはくれなかったから、ぜんぶがはじめて。
そのなかに、たくさんのしかくに、アニメのえがかいてあるものがあった。
おなじえもあるし、ちがうのもある。
「それは、よくわからないんだ。パパがかってきたんだけど、いっかいもやってない」
なんだかふしぎで、ずっとそれを見ていると、ユウちゃんがこまりながらいった。
ボクもぜんぜんわからなかったけど、手のなかで、かたいしかくをころがすのがおもしろくて、ずっとそれにさわっていた。
最後の1卓だったので、ユウちゃんの後ろに立った。














オーラス2着目の東家
トップとは25000点以上離れており、3着目ラス目には、共に7000点程のアドバンテージがある。
ここのウマは2-4なので、2着目から連帯を外すのが痛い。
もう7巡目だ。仕掛けも効かないし、よっぽどのツモでなければオリる事になるだろう。
ここに、
















ユウちゃんがノータイムでツモ切ったのをみて、思わず出てきそうになった溜息を噛み殺した。
河には前半から





それなら、ベタオリに備えて



少なくとも手拍子で打って良い牌では無いし、決めていたにしてはユウちゃんの打牌は投げやり過ぎた。
次巡、今度は普通の選択が訪れる。















望外の赤ツモで、メンツ選択。
ここでもユウちゃんはノータイムで

萬子は高いけど、処理過程のリスクや赤をダイレクトに引くケースを考えれば、無くは無い。
無くは無いが...やはりボクは萬子を外しそうだ。
和了に行く時にカン

では曲げられないし、本手を作っているであろう下位のテンパイはまだに思える。
それに、安全度の高い

その局は終局間近に

3着に落ちたユウちゃんが顔を歪めるのを、視界の端だけに入れた。
「あの、さっきのオーラスだけど」
「どうせ伏せで2着確定だってんだろ?そんなの分かってるんだよ」
はじめから、ユウちゃんの声は尖っていた。
「ううん、それだけじゃ無くてね。その前の捌きが...」
「お前みたいにベタオリ有きで考えてたら、ジリ貧だろうが!?ドラ3の親なんか行くところだろ!!」
「...6000オールでも捲れないのに?」
乱暴に手を離されたモップが、意外なほど大きな音を雀荘に響かせた。
カウンターで数字を合わせている店長が、こちらを向く気配がした。
こちらに向き直ったユウちゃんから暴力の予感を覚えて、反射的に身が縮んだ。
「お前さ、結局俺のことバカにしてるんだろ?そりゃ、お前の方が勝ってるよ。ここ最近はずっとだ。でも、麻雀なんかこれくらいじゃ分からねぇだろ!?」
「ユウちゃん、ちが
「俺には俺の打ち方があるし、他人に、ましてお前に指図されるいわれはねぇんだよ。いつか俺が正しいって思わせてやるから」
そのまま、諌める店長を無視して、タイムカードも押さずに店を出て行ってしまった。
ユウちゃんを傷付けてしまったかもしれないことよりも、彼と相対せずに済んだ事に安堵してしまっている自分が、たまらなく嫌だった。
友達だったら、もっと堂々と張り合うべきだと思う。
自論を戦わせて、白黒つかなくても、ライバルとして肩をぶつけ合い続けるのが礼儀だろう。
でも、ボクはまだあの日の公園から抜け出せていない。
あそんでくれなくなるのを恐れて、ユウちゃんとのジャンケンを避けている。
とっくに、遊んでなどくれなくなっているのに。
「ショウどうした?最近のお前らおかしいぞ?幼馴染でも喧嘩はするんだな」
いえ、これは喧嘩にもなってないんです。
と、まともに説明するのも億劫で、曖昧に微笑みの形を作ろうとし、失敗した。
あぁ、昔はあんなに楽しかったのに。
公園を追い出されたボクは、ユウちゃんの家に入り浸るようになった。
様々な遊具を使い、様々なゲームをしたけど、その中で一番気に入ったのは、ドンジャラだった。
ユウちゃんと競うように覚えた複雑な役を暗唱するのは誇らしかったし、牌をめくるのにワクワクし、相手に手を倒されないかドキドキした。
何より、ドンジャラは4人でできるゲームだったから。
おじさんが休みの日には、2人でせがんで卓を囲んだ。
最初は乗り気で無いおばさんが、どんどんムキになっていくのは愉快だったし
手品のようにボクが欲しい牌を当てるおじさんに憧れた。
ボクが怪我をする事ばかりを心配している母親も、頭ごなしに「わきまえろ」と繰り返す父親も、あまり好きでは無かった。
いま思えば単に反抗期が早かっただけだけれど、そんなボクは親に遊んでもらった記憶が殆ど無い。
だから、単純に大人と遊んで貰う事が嬉しくて嬉しくて、もっと褒めて欲しくて、ボクはユウちゃんとドンジャラの研究に打ち込んだ。
中学に上がり、ドンジャラの牌が雀牌に変わった。
ドンジャラで考え方の基礎ができていたのか、ボク達はおじさんおばさんが驚くような速度で麻雀を吸収していった。
おじさんはかなり打ち込んだ人のようで、面白がって色々な戦術や麻雀観を授けてくれた。
ボクはますますおじさんを慕うようになった。
勝てなくなったおばさんがますますムキになるのを、ボクがやっと使うようになった敬語で宥めるのを見て、ユウちゃんとおじさんが笑う。
ボクにとっては、そこはもう自分の家より家で、3人は家族だった。
高校はユウちゃんと別れてしまったけれど、相変わらずユウちゃん達との交流は続いていた。
他の学校の友達付き合いがあるのか、ユウちゃんは少しよそよそしくなったけれど
ボクは自分の居場所が無くなるのが怖くて、多少強引にでもユウちゃんとの距離が開かないように近付いた。
その時のユウちゃんはまだ、うっとうしがりつつも、ボクと友達でいてくれた。
大学に入り、メンバーのアルバイトをやりたいと告げると、ボクの両親はもちろん、ユウちゃん一家も揃って反対してきた。
ショックだった。あの人たちだけはボクの味方だと思っていたから。
麻雀には自信があった。
同年代とのセットは全く負ける気がしなかったし、こっそりと挑戦してみたフリー雀荘も大したことは無かった。
「もう大学生なんだから、聞き分けないと。いつまでも麻雀なんか続けていられないだろ?」
優しく忠告するユウちゃんの言葉も、ボクの反発を育てるだけだった。
「やりたいなら勝手にしろ。ただし、家は出て行け。学費も生活費も自分で何とかするんだな」
ボクの顔も見ずに吐き捨てた父親の言葉は、本心だったのか。
どうせそこまでの根性は無いだろう、と高を括る気持ちが見え隠れしたのが、最後の引き金になった。
その日のうちに家を飛び出して、雀荘の面接に臨んだ。
怪訝そうな店長を打牌と卓掃で黙らせ、すぐに働き始めた。
成績は上々だった。
常連やメンバーも、最初はやっかんで絡んで来たが、ボクが成績を見せると、すぐに黙った。
雀荘の中では店長としかまともな口を利かない。
メンバーにも客にも嫌われてる。
しかしそれは、本走一番手でアウトも切らないメンバーを辞めさせる理由にはならなかった。
客観的に見て、ボクは孤独だった。
でも、牌の感触がボクをあの家に繋ぎ止めてくれていた。
もう行く事のなくなった、あの家に。
そんなある日、ユウちゃんがやって来た。
ボクのお店で、メンバーとして働くというのだ。
泣きたくなるくらいありがたかった。
突っ張ってはいても、ボクの心は疲弊しきっていた。
きちんと話が出来る誰かを渇望していたのを、はっきりと自覚した。
それからのボクは、枯れ木が水を吸うように、ユウちゃんとの交流を欲した。
麻雀の話にかこつけて、ユウちゃんにくっ付いて回った。
嫌われ者のボクと接する事で、立場が微妙になっていくユウちゃんの事なんか全然考えずに。
それどころか他の連中に対して
「ほら、ボクにだって友達がいるんだぞ。仲間はずれにしてくれても平気なんだから」
と、歪んだ愉悦すら感じていた。
なんて自分勝手で馬鹿だったんだろう。
疎外されるのを誰よりも怖がっているくせに、都合の良い人間が近くに現れた途端、鬼の首を取ったように息巻く。
あのときソウタくん達がボクを締め出したのも、そんな醜いボクを見抜いていたからなのかもしれない。
ユウちゃんは変わっていった。
昔よりも体は大きくなって元気になっていて。
でも、昔と同じように優しくて。
たぶんボクを心配してここに来てくれたユウちゃんを、ボクが変えてしまった。
言葉使いが荒くなり。
それと比例するかのように麻雀も荒くなり。
負けが込んで、酒を飲むようになり。
また負けて荒れても、周りに相談できないで。
ボクが周りを奪ったから。
ユウちゃんはもう、ボクをショウちゃんと呼んではくれない。
同卓をすれば、無理にトップを狙おうとして、酷い牌を打って沈んでいく。
誰とも目も合わせないで、世界のぜんぶを憎んでいるような顔をして。
ボクのつまらない意地と執着でこんな事になってしまったのなら、どうかユウちゃんを元に戻してあげてください。
ボクはずっとジャンケンに入れてくれなくてもいいですから。
おじさんとおばさんに優しいユウちゃんを返してあげてください。
もちろん、そんな都合の良い願いに応えてくれる何者かなんていない。
だからボクは、性懲りもなくすがる事にした。
慣れない手つきでお茶を淹れるおじさんを手伝おうとして、固辞された。
「火傷でもさせちゃったら、申し訳ねぇ」
との事だけど、毎日何杯ものアリアリを出しているボクとしては、苦笑する他ない。
突然の来訪に、驚きこそすれ、迷惑そうな素ぶりひとつ見せず、おじさんはすぐに居間へ通してくれた。
週末の度に雀卓になったテーブルに、今はお茶とお茶菓子が置かれ、話を切り出しかねているボクを助けてくれている。
「なんか痩せたんじゃない?ちゃんと食べてる?」
「もともと食べる方では無いので。ユウちゃんみたいには、なかなか」
「あいつもさぁ。ちっちゃい頃はガリガリで心配したもんだけど、中学入ったらいきなりガツガツ食って、でかくなっちまった。心配して損したぜ」
「損、ってことはないでしょう。何よりです」
ボクの状況を知ってか知らずか、無難な話題を選んでくれているのだろう。
でも、今のボクにはユウちゃんの名前だけでも、刺さる。
そんなユウちゃんは、ずいぶんと痩せてしまったんです。ボクのせいで。
「今日はあいつがいなくて、ごめんね。本当はもうちょっとマシなお茶が出るんだけどさ」
「いえ、突然伺ったのはこちらですから」
嘘だ。
今日おばさんが婦人会の集まりに出掛ける事は、知っていた。
わざわざ、この日・この時間を選んだ。
ユウちゃんの事を心配しているおばさんに聞かせたく無い話になるからだ。
そして、その後にボクの事を許してくれるからだ。
また優しく頭を撫でられてしまったら、ボクは許された気持ちになってしまう。
それだけは、やってはいけないと思った。
沈黙を嫌うかのように、おじさんは喋り続ける。
あいつさぁ、生まれた時は1キロも無くてさぁ。2ヶ月も保育器入ってたんだ。
医者は「覚悟してください」とか言い出すしさぁ。泣きたかったけど、あいつがメチャメチャ泣くからさ。俺が折れたら終わりだと思ってね。太腿つねって堪えてたんだ。
ユウ、優人さ、産まれる前に名前付けたんだ。腹の中にいる時に付いてるの見えてたからさ、男だって分かってたから。あ、ごめんな。
優しい人になって欲しい、って、あいつが付けたんだ。どんだけ単純なんだって話だよな。ちょっとは捻れってな?
でもさ、良い名前だと思ったんだよ。俺みたいはガサツな奴じゃなくてさ、他人様のことをちゃんと思いやれる人間になってくれるかな、ってさ。
そしたら、超未熟児で簡単にスポっと出てきやがった。産まれる時にてめぇの母親に優しくしてどうすんだってなぁ。
あいつが泣きながらなぁ、名前が良くなかったのかなぁ、って言うんだよ。もっと強いような名前だったらこんな事にならなかったかもしれないってなぁ。
その時ばかりは怒鳴っちゃったよ。バカヤロウって。そんな良い名前なのに、別のがよかったなんて言うんじゃねぇ、ってな。
そんでさ、なんだかんだ命は助かったけど、やっぱ体は弱えから、他の子みたいに遊べないんだよな。
あいつ、産んだてまえ罪悪感があるのか、すげぇ心配してさ。そんなの感じるのよくないんだけどね。
俺なんかは男なんか放っておけば大丈夫だ、って言うんだけど、友達もいねぇし、可哀想になるんだろうね、オモチャばっかり買ってやってさ。
そんなことしたら、もっと友達いなくなるのにな。あいつの気持ち分かるから、何も言えなかった。
どっこい、あれだけは本当に正しかった。なんせ、それでショウちゃんが来てくれた。
ショウちゃんが初めてウチに上がった日なぁ、俺が帰って来ると、ユウが見たこと無いくらい楽しそうにあれこれ話すんだよ。ショウちゃんがどうした、ショウちゃんがこう言ったっな。
それを見てあいつ、泣くんだよ。泣きすぎだよな。
でも、ショウちゃんと会ってみて、俺も思ったんだよ。「あぁ、こりゃ泣くな」ってな。こんないい子がユウと友達になってくれた。それは泣いちゃうよな。ってな。
だから、ショウちゃんが泣くことなんて、何もねぇんだよ?
子供みたいにボロボロと流れる涙を、ボクは拭わなかった。
おじさんの話から目を逸らしてはいけないから。
こんなに愛されているユウちゃんに、ボクはなんてことを。
無言で差し出されたティッシュで、思い切り鼻をかんで、やっと少し落ち着いた。
「ユウさ、良くねぇんだろ?」
「...おじさん、本当にごめんなさい。ユウちゃんがあんなになったの、ボクのせいなんです」
「そりゃなぁ。でも、そういうの仕方無いって言うか、誰が悪いってわけでも無いしなぁ」
「え?だから、ボクが悪いって言ってるじゃないですか」
「いやいやいや、悪くねぇよ」
「でも、ボクのせいで」
「ショウちゃんのせいだけど、別にショウちゃん悪くねぇだろ」
なんだそれは。
悪意の有無とか、そういう話か?
「まてまてまてまて。えーと、ちょっと待ってくれ」
おじさんは苦悩したように目に手をあてて、何やら思案している。
「ショウちゃんさ。なんで自分が悪いって思う?」
「あ、だからそれは、ボクのせいで雀荘で働くようになって、ボクと友達だから周りからハブられて...って、この話してませんよね?」
「あー、そういうことか。あー」
おじさんは、あちゃー、と、天井を仰ぎ見る。
それを戻す反動そのままに、勢いよくボクに頭を下げる。
「すまん!俺が早合点した。っていうか、ユウにこそ申し訳ねぇ...」
「ちょっとちょっと!何ですかそれ」
頭を上げるまでに、思考を整理したようだ。
何事かを話す用意が、おじさんの顔に見て取れた。
これは、俺から聞いたって、ユウには言わないで欲しいんだけど。と前置きして
「あのさ、何でユウが雀荘で働くことにしたと思う?」
「それは、ボクのために...」
「そう、その通り。それを聞いたとき、俺らはユウに"よく言った!行ってこい!"ってな」
「はぁ??ボクの時はあんなに反対したのに、自分の息子の時は激励って、どういう事ですか!」
「だから、事情が違うだろ」
「酷い。ボクはおじさんとおばさんの事を本当の親よりも...」
「あのさぁ...ショウちゃん、確かにこれはショウちゃんが悪いわ。自覚が無さすぎる」
「どういう意味ですか!」
「だから!大の男と、可愛い女の子じゃ事情が違うでしょうが!」
可愛い?ボクが?
話の本筋を忘れて、カッと頬が熱くなる。
黙ったボクにおじさんが畳み込む。
「嫁入り前どころか、ハタチ前の女の子が雀荘で働くとか、普通は反対するだろ。まして、バリバリの博打雀荘だ。どんなヤロウがいやがるか分かりやしねぇ」
「でも、麻雀は勝ってますし...」
「そういう問題じゃねーだろ!」
あーもう!と、ガリガリ頭を掻き。
「そうでなくとも博打の周りなんて揉め事だらけなのに、アンタみたいなべっぴんがいたら、どうにかしようって男がいない方がおかしい。麻雀を教えた手前、俺にも責任がある。何かあったら親御さんに死んで詫びねえといけねえ」
「そんな大袈裟な...」
「大袈裟な話なんだよ!もう俺ら大混乱よ。あいつなんか酷かったぜ?そうでなくてもショウちゃんに声掛けた事を気に病んでたのに」
聞き逃せないフレーズが出た。
「ちょっと待って下さい!気に病んでたって何です??」
「あぁ、ウチに来た時、仲間からはじかれてたんだろ?それをあいつが慰めて、連れて来た」
「はい。ボクの事を可哀想に思ってくれて、それで」
「うん。確かにそういう気持ちはあったんだろう。それも嘘じゃない。けど、こうも思った。チャンスだって」
「チャンス?」
「ユウには遊んでくれる友達がいない。どうしよう、このままじゃずっと1人かも。そんな事ばっかり考えてるところに、仲間はずれにされて泣いている子がいる。しかも、女の子だ。これならユウとも合うかもしれない。ここはひとつ持ち帰ってみて...」
「そんな、犬猫じゃあるまいし」
「そう、犬猫じゃねぇんだ。失礼な話だし、褒められたもんじゃない。けどな、俺はあいつを責められない。ずっと自分を責めてきた、あいつをな」
泣いているボクを励ましくれて。
ボクに居場所を与えてくれて。
おばさんの事は菩薩様のように思っていた。
でも、もちろんおばさんだって人間で、母親だ。
自分の子供を中心に物事を考えるのは、当然だ。
それをずっと気にして。
ユウちゃんにも後ろめたさを抱えて。
なんて不器用で、なんて優しんだろう。
「ウチはユウだけだからさ。あいつ、女の子も欲しいって言ってたんだけどね。ショウちゃんが来てくれるようになってから、そんなこと言わなくなったよ。ショウちゃん、本当にありがとうな」
何も言えずにいるボクの胸中を知ってか知らずか。
でだ、と続く。
「そんなだから、ユウがショウちゃんを助けに行くんだ!って、俺らは盛り上がるわけよ」
「なるほど...何だか分かりました」
呆けたように返すボクを、おじさんがヘンな顔でみている。
「...何です?」
「いやー、これまでの感じだと、ショウちゃん分かってないよ。絶対わかってない」
「だから、ボクが心配でショウちゃんが来てくれて、それはおじさんとおばさんの望むところであって、なんですよね?」
「それはそうなんだけど、そうじゃない」
「もう謎かけはやめて下さい...答えだけ教えて下さい...」
疲れ切っていた。
「俺から言わせると、分からないショウちゃんが謎だけどな。いいかい、これだと俺らが反対した理由しか分かってないよな?本題は何だ?」
「あ、そうだ。何でユウちゃんが弱ってるか、だ」
「そう。さっきのショウちゃんの話だと、ショウちゃんが友達面したから、ってことだったよな?」
「はい。ボク、本当に嫌われてるんで」
「違う。ユウが友達面したからなのはそうだけど、周りは関係無い」
もう何も言わない。
これ本当にユウには内緒な、と、やけに神妙な顔を作ってから。
「ユウがさ、ショウちゃんのお店に行くって言った時、俺ら大応援したんだよ」
「さっきも聞きました。ボクを助けて来い、と」
「それもひとつだけど、もうひとつは、ついに打ち明ける気になったのか!だったんだよ」
「何をですか?」
「もう驚かねぇけどな...ショウちゃんが好きだ、って事だよ」
今度こそ頭がおかしくなりそうだった。
この文脈だと、ユウちゃんがボクを?好き?なんで?
「顔に全部書いてあるけどさ。考えてもみなよ。唯一自分と遊んでくれた友達が、この辺りで一番の美人で、屈託無く自分に接してくれる。こんなの、好きになるに決まってるだろ」
耳が赤くなる。もうやめてくれ。
「だって、ボクはボクで、ユウちゃんはユウちゃんですよ!?そんなの、あり得るわけが...」
「こういうの、女の子の方が早いっていうけどなぁ」
いや、そんなレベルの話じゃねぇか...
とボヤいたあと
「これに関しては、ユウの方に同情しちゃうな。好きな女の子は自分の事を友達としか思ってない上に、とびきり仲の良い友達でいようとする。年頃の男からしたら、生き地獄だぜ。しかも、自分の一番ヘナチョコなところも見られてる。普通にアプローチしても相手にされるわけが無い」
だから、ショウちゃんが家を出て、チャンスだと思ったんだ。あの時のあいつと同じだな。これも血なのかねぇ。
親の援助も断って、女の身ひとつでゴロツキの巣窟で気張ってるんだ。平気でいるはずがない。きっと傷付いて、心細くて、泣きそうになってるはずだ。
そこに颯爽と乗り込んで、助け上げてやる。
どうだ、俺はもう昔の頼りにならん青びょうたんじゃねぇ。ただの友達じゃ無くて、ひとりの逞しい男なんだぞ。
そして、お前の事が好きだ。本当の家族になろうぜ。
いや、家族ってのは俺らの願望なんだけどな。
自分勝手で馬鹿だろう?でも若い男なんてそんなもんだ。好きな女の子の前で格好つけるのが何よりの望みなんだ。
鼻息全開で、いざ雀荘に行くと、ショウちゃんは一人で立派に勤め上げていた。勝ち頭で、妙な客やメンバーを寄せ付けもしない。
ユウは途方に暮れた。なんだ、ショウちゃんはしっかりやってるじゃないか。俺は何の為にここに来たんだ?
しかも、ショウちゃんは以前と全く同じ形で自分に接してくる。麻雀の話が出来る、最高に親しい"友達"だ。
なんてこった、更に友情を深めちまった。俺は永遠に男として見てもらえないのか。
でも好きだから、おめおめ消える事もできねぇ。いま告白しても100%振られる。
あー!どうすれば良いんだ!!
「そんな状態で麻雀やって、勝てるわけがねぇ。まして、想い人との同卓なんか最悪だ。賭けても良いけど、その時のユウの打牌は最低だね」
今度こそ口が開いた。
そんな子供じみた妄想を抱いて、あんなところまで来たのか?本当に?
だいたい、ボクは弱ってたじゃないか。
村八分にされても意地を張ってた姿が、ユウちゃんには強い女に見えたのか?
だとしたら、ユウちゃんも大概バカだ。
そう思うと無性に可笑しくなって来て、声を上げて笑ってしまった。
おじさんも、困ったように笑う。
「俺も直接聞いたわけじゃないけど、大方そんなとこだろうぜ。今のあいつが荒れてるのは、ただ拗ねてるだけだ。目の前の人参が食べれなくて、癇癪を起こしてるだけだ」
「だったら、ボクはどうしたら良いんでしょう?」
「ショウちゃんの気持ちの話だからなぁ。どうするべきってのはねぇよ。ただな、親というか男として、もう少しユウの事を異性として見てくれるとありがたいかな。さすがに不憫だわ」
「うーん。善処します」
「...あれ?ひょっとして、好きな人いるの?」
「...」
「そ、そうかそうか!ごめんなぁ、周りで勝手に盛り上がっちゃって。そりゃショウちゃんだってお年頃だもんなぁ」
「そう、お年頃なんです」
「うんうん。でも、残念だなぁ。自分の娘を嫁に出す気分だよ。って、それは気が早すぎるけど。ショウちゃんだったらなびかない男なんかいないでしょ。もうそいつに言ったの?」
「いえ、言う事は無いと思います」
「なんでなんで!?...あ、ひょっとしてワケありのやつ?」
「そんなところです」
「うへぇ、それは辛いなぁ。ショウちゃんなら大丈夫だと思うけど、妙な事にはならないようにな。もし上手くいったら、ウチに連れて来なよ。俺が目利きしてやるから」
「はい。是非お願いします」
ひとしきり昔話をし、麻雀戦術について議論を交わした。
昔は金言のように聞こえていたおじさんの麻雀論も、今聞くと古臭い手役派の説教みたいで、嬉しいような寂しいような心持ちになった。
「じゃあね!ユウのことよろしくね!」
陽は落ちかかって、黄昏時。
オレンジと紫が鮮やかに雲の姿を映し出している。
軒先まで見送ってくれたおじさんは、ずっと手を振っているのだと思う。
ボクは振り向かないで、黙々と歩く。
今また顔を見たら、涙が落ちてしまいそうだ。
おじさんは、なかなかの名探偵だったけど、解き忘れた謎がひとつある。
"ショウちゃんは何故そんなに麻雀に拘るのか?"
父親とは物心付いた時から冷戦状態のままだ。
全く自覚は無かったけれど、ボクの心は、いつもそこを埋めるものを探していたのだと思う。
「ショウちゃんは覚えがいいねぇ。ユウよりずっとスジが良さそうだ」
父親に褒められた事が無いボクは、その言葉がくすぐったくて、モゾモゾして。
でも、もっと欲しいと思った。
いつからか、ボクを娘のように見つめる視線に、痛みを覚えるようになった。
嬉しいのに、疼く。
不思議だった。
はっきりと自覚してしまうと、何かが壊れてしまうような気がして、言葉にするのを避けてきた。
そして、はっきりと自覚した時、ボクはもうそのままではいられなくなった。
叶えてはいけない望みを抱えたまま、普通でいる事はできない。
その人が大好きだった。
その人の家族が大好きだった。
それを脅かそうとする自分の感情が、とてもおぞましいものに思えた。
人に寄り添う事ができないのなら、牌に寄り添おう。
あの人が褒めてくれた、モゾモゾ嬉しい、あの小さな塊の近くにいよう。
でも、ボクはひとりになんてなれなかった。
どうしょうもなくなって、フラフラになって。
それを助けようとしてくれた友達もろとも、ダメになって。
結局は頼って救って貰って。
ユウちゃん。
ボク達まだまだ修行が足りないよ。
自分たちのことばっかりで、人に優しくできないよ
自分の心にすら誠実になれなくて、遠くに翔けてなんていけないよ
でもね。
今日は本当に良かったと思うんだ。
ユウちゃんが、どれだけかけがえの無い人なのか分かったから。
おばさんが、どんなに愛されてるか分かったから。
だから、まず最初から話をしよう。
優人と初めて会った日、翔子は道端で泣いていたんだ...
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